呉観光の顔ともいえる大和ミュージアム。館内に入ってまず目に飛び込んでくるのが、巨大な戦艦大和の模型だ。「10分の1」と説明されているが、それでも全長は26.3mある。この記事では、公開されている情報をもとに、この数字が何を意味しているのかをたどってみたい。
正式な名前は「呉市海事歴史科学館」
大和ミュージアムは愛称で、正式には「呉市海事歴史科学館」という。2005年(平成17年)4月に開館した、呉市が運営する博物館だ。呉駅から歩いて行ける距離にあり、道路をはさんだ向かいには海上自衛隊呉史料館「てつのくじら館」が建っている。
名前に「大和」が入っているため戦艦大和の博物館だと思われがちだが、正式名称のとおり、扱っているのは呉という街の海事の歴史そのものだ。造船、製鋼、そして戦後の技術がどうつながっていったのかまでを射程に入れている。開館日や料金、展示の入れ替え状況は変わることがあるため、訪問前に公式サイトで確認しておきたい。
26.3mの10倍は263m——それが実物の大きさ
館内の大和は10分の1の縮尺で作られていて、全長は26.3m。ということは、実物の戦艦大和は全長263mあったことになる。
この数字だけ言われてもピンとこないかもしれない。身近なものに置き換えると、陸上競技のトラックの直線部分が100m、サッカーのピッチが縦105mほど。つまり大和は、サッカーコートを2枚半つないだ長さの船だったということだ。しかもそれが海の上を30ノット近い速さで動いていた。
模型のほうも、10分の1とはいえ26.3mある。教室の対角線よりも長い。館内の吹き抜けに置かれているので、1階からは船体の側面を見上げる形になり、上のフロアに上がると甲板を見下ろす形になる。同じ模型でも、見る高さを変えると印象がまったく変わるので、両方から眺めてみることをおすすめしたい。
大和は呉で造られた船だった
大和が呉と結びついているのは、この船が呉海軍工廠で建造されたからだ。1941年(昭和16年)12月に完成している。
当時、263mの船を造れる場所は限られていた。それだけの長さの船体を組み立てるドックと、分厚い装甲板を作れる製鋼設備、そして46cmという巨大な主砲を仕上げられる加工技術。この3つが一か所に揃っていたのが呉だった。街の規模に対して不釣り合いなほど大きな工業設備が集まっていた理由も、ここにある。
つまり「10分の1の大和」は、大和という船の模型であると同時に、それを造れてしまった街の実力を示す展示でもある。
大和だけではない、実物の展示
大和ミュージアムには、模型だけでなく実物の資料も展示されている。よく知られているのが、零式艦上戦闘機の六二型だ。いわゆるゼロ戦の実物で、レプリカではない。
そのほかに、特殊潜航艇「海龍」や、人間魚雷と呼ばれた「回天」の十型(試作型)なども並んでいる。いずれも人が乗り込んで運用するために造られたもので、大きさを目の前にすると、それがどういう兵器だったのかが言葉の説明より先に伝わってくる。
館内にはこのほか、船が浮かぶ仕組みやスクリューの働きを体験しながら学べる展示もあり、子ども連れでも時間を持て余しにくい構成になっている。
屋外にも見どころがある
建物の外にも展示がある。大和の主砲と同じ大きさの砲身の一部や、戦艦「陸奥」から引き揚げられた部品などが置かれていて、こちらは入館しなくても見ることができる。
とくに主砲まわりの部品は、写真で見た印象と実物の質量感がまったく違う。館内に入る前に外を一周しておくと、館内の展示を見るときの「大きさの物差し」ができるので、順番としてはおすすめだ。海沿いに面しているため、対岸の造船所のクレーンや停泊中の艦艇も同時に視界に入ってくる。展示物と現役の風景が地続きになっているのは、呉ならではの見え方といえる。
まとめ
「10分の1で26.3m」という数字は、単なるスペックではない。それを10倍した263mの船を、この街が実際に造り上げたという事実を指し示す数字だ。大和ミュージアムを見るときは、模型そのものの精巧さだけでなく、その背後にある呉の工業力に目を向けてみると、展示の見え方が変わってくるはずだ。向かいのてつのくじら館とあわせて回れば、戦前から戦後までの流れを一日でたどることができる。
(本記事は一般に公開されている情報をもとに構成しています。開館日・開館時間・料金・展示内容などは変更される場合があるため、おでかけの前に施設の公式サイトで最新情報をご確認ください。)

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