呉の市街地から南へ車を走らせると、赤い橋がぐるりと渦を巻くように架かっている場所に出る。音戸の瀬戸だ。ここには色違いの赤い橋が2本架かっていて、初めて訪れると「どちらを渡ればいいのか」と一瞬迷う。この記事では、公開されている情報をもとに、この海峡と2本の橋について紹介する。
音戸の瀬戸とはどんな場所か
音戸の瀬戸は、本州側の警固屋と、対岸の倉橋島(音戸町)とのあいだにある海峡だ。いちばん狭いところで幅がおよそ90mしかない。海峡というより、大きな川のような見え方をする。
それでいて、ここは船がひっきりなしに通る現役の航路である。狭い水路を、貨物船から漁船まで次々に通り抜けていく。展望台から眺めていると、船が数分おきに現れては消えていくので、意外なほど飽きない。潮の流れが速く、水面に筋のような模様が走るのも、この場所ならではの光景だ。
平清盛の「日招き伝説」
音戸の瀬戸を語るときに必ず出てくるのが、平清盛の伝説である。
言い伝えによれば、清盛はこの瀬戸を切り開く工事を進めていたが、日が暮れて工事が終わりそうになかった。そこで扇をかざして沈みかけた夕日を招き返し、一日で工事をやり遂げたとされる。これが「日招き伝説」と呼ばれるものだ。
もちろん、これは伝説として語り継がれてきた話であって、史実として確かめられているわけではない。ただ、この土地が古くから瀬戸内海の航路の要所として意識されてきたこと、そしてこの狭い水路を通すことに大きな意味があったことは、この伝説が残っていること自体が示している。瀬戸を見下ろす高台には、清盛にちなむ塚も残されている。
1本目——1961年に架かった「音戸大橋」
海峡に最初に架けられたのが、音戸大橋である。開通は1961年(昭和36年)。鮮やかな朱色をした、日本のループ橋の草分けのひとつだ。
なぜ橋がぐるぐる巻いているのか。理由は単純で、下を大きな船が通れるだけの高さを稼ぐ必要があったからだ。海峡の幅が狭いぶん、まっすぐ坂を上って必要な高さに達しようとすると、取り付け道路がとんでもなく長くなってしまう。そこで、らせん状に回りながら高度を上げる形が選ばれた。
車で通ると、ハンドルを切りっぱなしのまま一周してから橋の上に出る。この体験自体が音戸のちょっとした名物になっている。
2本目——2013年開通の「第二音戸大橋」
音戸大橋が架かってから半世紀ほどが経つと、交通量の増加や、ループ構造ゆえの通りにくさが課題になってきた。そこで新たに架けられたのが、第二音戸大橋である。開通は2013年(平成25年)。
こちらの愛称は「日招き大橋」。先ほどの平清盛の伝説からとられた名前だ。橋そのものはアーチ形で、ループを描く旧橋とは形がまったく違う。同じ朱色系の色でそろえてあるので、離れた場所から見ると、形の違う赤い橋が2本並んで海峡をまたいでいることになる。この「2本並び」の風景が、いまの音戸を象徴する眺めになった。
眺めるなら音戸の瀬戸公園から
橋を渡るだけでなく、外から眺めたいなら音戸の瀬戸公園がいい。高台から海峡と2本の橋を見下ろせる場所で、呉を代表する景勝地のひとつとして知られている。
この公園は花の名所でもある。春には桜が咲き、季節になると斜面いっぱいにつばきが咲くことでも有名だ。海峡、赤い橋、花、そして行き交う船——この4つが一つの画面に収まるのは、なかなかほかにない構図といえる。
なお、音戸の瀬戸には長らく渡船も通っていた。ごく短い距離を小舟で渡る航路で、地元の生活の足として親しまれてきたものだ。ただし運航の状況は時期によって変わっているため、利用を考えている場合は呉市や観光協会の最新情報を確認してほしい。
まとめ
音戸の瀬戸に橋が2本あるのは、狭い海峡に「船を通す高さ」と「車を通す量」の両方を確保しようとした結果である。1961年のループ橋と2013年のアーチ橋。半世紀の時間差で架けられた2本が並ぶ風景は、この場所がずっと交通の要所であり続けてきたことの証しでもある。呉の市街地から車で行ける距離なので、大和ミュージアムなど中心部の観光とあわせて足を伸ばしてみてほしい。
(本記事は一般に公開されている情報をもとに構成しています。交通状況・渡船の運航・公園の開花時期などは変わる場合があるため、おでかけの前に呉市や観光協会の公式情報で最新の状況をご確認ください。)

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