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下蒲刈島・三之瀬とは?朝鮮通信使を迎えた「御馳走一番」の島

下蒲刈島・三之瀬とは?朝鮮通信使を迎えた「御馳走一番」の島のイメージイラスト

とびしま海道を走るとき、多くの人は最初の島をあっさり通過してしまう。目的地はもっと先、御手洗の町並みだったりするからだ。だが本土から安芸灘大橋を渡って最初に着くこの島——下蒲刈島には、通過するにはあまりに惜しい一角がある。三之瀬(さんのせ)と呼ばれる海沿いの地区だ。ここでは、公開されている情報をもとに、この小さな地区の大きな来歴を紹介する。

目次

江戸時代、外交使節がこの島に上陸した

三之瀬の名を歴史に刻んでいるのは、朝鮮通信使である。江戸時代、朝鮮王朝から日本へ派遣された外交使節団は、瀬戸内海を船で進み、各地の港に寄りながら江戸を目指した。その寄港地の一つがこの下蒲刈島だった。

島を治めていた側は、使節団を盛大にもてなした。その饗応ぶりは「安芸蒲刈御馳走一番」——安芸の蒲刈のもてなしが一番だった——と称されたと伝わる。小さな島が、国の外交の舞台として最高の格でふるまった。三之瀬という地名の背後には、そういう記憶がある。

考えてみれば不思議な話だ。呉の観光の主役は明治以降の軍港の歴史であり、時代でいえばせいぜい百数十年分である。ところが橋を一本渡っただけのこの島には、江戸時代の外交の記憶が残っている。呉市の中に、まったく別の時代の層が同居しているのだ。

松濤園と「御馳走一番館」

その歴史をいま体感できるのが、海沿いの庭園・松濤園だ。園内には朝鮮通信使の資料館があり、その名も「御馳走一番館」という。使節団を迎えた当時の饗応の様子を伝える展示で、この島がどれほどの規模のもてなしを担ったのかを知ることができる。

庭園そのものも、海峡を借景にした造りで、対岸との間の狭い瀬戸を行く船を眺めながら歩ける。潮の流れの速い海のすぐきわに、端正な庭が広がっている構図が三之瀬らしい。

庭を歩きながら考えるのは、この海を使節団の船列が実際に通ったという事実だ。目の前の瀬戸は、展示ケースの中の歴史ではなく、饗応の舞台そのものである。資料館で知識を入れてから庭に出ると、同じ海の見え方が変わる。

美術館と本陣が徒歩圏に集まる

三之瀬の面白さは、文化施設が歩ける範囲に固まっていることだ。日本画を中心に展示する蘭島閣美術館、江戸時代の本陣の歴史的な外観を再現した三之瀬御本陣芸術文化館、趣のある建物の白雪楼。いずれも蘭島文化振興財団が運営する施設で、小さな地区がまるごと文化の集積地になっている。

島の集落を歩きながら、庭園、美術館、本陣と巡っていく。派手さはないが、密度は高い。開館の曜日や時間はそれぞれ決まっているので、訪ねる前に財団の公式案内で確かめておきたい。

車で来た場合も、三之瀬に着いたら一度降りて歩くことを勧める。施設と施設の間の道そのものが、海と石垣と古い構えの続く散歩道になっている。橋で渡れる島でありながら、歩き出すと時間の流れが一段ゆっくりになる——この感覚こそが、三之瀬でいちばん持ち帰る価値のあるものかもしれない。

御手洗とどう違うか

同じとびしま海道でも、終点側の御手洗が「潮待ちの港の町並みが残る場所」だとすれば、三之瀬は「外交使節を迎えた饗応の港」だ。御手洗は路地の町歩きが主役、三之瀬は庭園と館の見学が主役、と性格が分かれる。

だから両方に寄っても重複しない。橋を渡って最初の島で三之瀬に降り、最後の島で御手洗を歩く。とびしま海道の始まりと終わりに、性格の違う二つの港町を置く構成が組める。島づたいの一本道だからこそ、行きと帰りで寄る場所を分ける設計も立てやすい。

まとめ

下蒲刈島の三之瀬は、江戸時代に朝鮮通信使を迎え「御馳走一番」と称された饗応の港である。いまは松濤園と御馳走一番館がその歴史を伝え、蘭島閣美術館や御本陣芸術文化館などの文化施設が徒歩圏に集まる。とびしま海道の最初の島は、通過点ではなく最初の目的地だ。橋を渡ったら、まず降りてみてほしい。

(本文は公開されている情報から構成した。各施設の開館日・時間・観覧の条件は変わることがあるため、訪問前に運営財団や呉市観光の公式案内で最新の情報を確認してほしい。)

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